2013年2月16日土曜日

リスボン散策














ポルトガルの首都リスボン。

大西洋に流入するテージョ川の
河口に位置する港湾都市。

坂の多い街で「7つの坂の街」と
呼ばれている。














街中を走る市電が特徴的。














展望台にはファドを歌う人も。














地中海性気候で過ごしやすいせいか、
人々も陽気で親切。
魚介類をふんだんに利用する食事も
日本人には食べやすいと思う。


2013年2月15日金曜日

Casa Pastéis de Belém














日本では「エッグタルト」と言った方が
馴染みがあると思われる、「パステル・デ・ナタ」

ポルトガル、リスボンのベレン地区にある
このお店のパステル・デ・ナタは本当に美味しい。














ジェロニモス修道院の修道女達によって
発案されたといわれており、
そのレシピは門外不出なのだとか。














活気のある店内では
店員の動きもキビキビ。

ここでは会計を済ませたレシートを
カウンターの店員に見せると商品をくれる。














出来立てのパステル・デ・ナタは
奥の厨房から店頭に次々に運ばれる。














1日に何個作るのだろう?

ここのパステル・デ・ナタは
出来立てのサクサクを食べるのが大事で、
持ち帰るとしんなりしてしまい、
本来の美味しさを味わえない。














店内はアズレージョで装飾され、
創業からの歴史を感じられる。


















もちろん、カフェスペースもある。

このパステル・デ・ナタを食べるためだけに、
もう一度ポルトガルに行きたいと思うくらい
美味しいのでおススメ。


ジェロニモス修道院














マヌエル様式の最高傑作と言われ、
大航海時代の富を注ぎ込んで建築された
ジェロニモス修道院。


















航海にでる前に多くの航海者が
祈りを捧げたそうだ。

人の大きさと比較しても、
身廊が相当な高さであることが分かる。














1502年 マヌエル1世にによって着工され、
1511年 回廊など大部分が完成。
しかし、最終的な完成まで300年

国王になったばかりのマヌエル1世が
自身の権力を知らしめるために建設した
とも言われている。














入ってすぐ、ヴァスコ・ダ・ガマの棺が
安置されている。














香辛料、動物、船にまつわる様々なモノが
修道院の装飾のモチーフに使われている。


このジェロニモス修道院の建築に着手したため
バターリャ修道院の未完の礼拝堂が
完成せずに残ったとも。














多くの人がなぜか、
中庭にある獅子像をなでる。
ご利益があるのだろうか。


ベレンの塔と発見のモニュメント














リスボンのベレン地区にあるベレンの塔は、
16世紀にマヌエル1世によって、
ヴァスコ・ダ・ガマの世界1周の偉業を記念して
テージョ川の船の出入りを監視する
要塞として作られた。

建設時は川の中央の岩礁に作られたが、
リスボン大地震時に地形が変わり、
今では川岸に位置している。


















目の不自由な方のために、
ミニチュアのベレンの塔が
塔の近くに置かれている。


5階建ての建物で、
1階は潮の干満を利用した水牢として
2階は砲台、3階以上は王族の居室だったそう。

訪問時は中に入れなかったが、
現在は博物館なのだとか。


霧に包まれた、発見のモニュメント。














エンリケ航海王子没後500年の記念行事として、
1960年にコンクリートで制作された。

ポルトガル大航海時代の
先駆的指導者だったエンリケ航海王子を先頭に
探検家、芸術家、科学者、地図製作者、
宣教師ら約30人の像が並ぶ。














こちら側には、マゼランや
フランシスコザビエルなど、
日本にも縁のある像が多い。


石畳にあるウィンドローズ。
ポルトガルが各地に到達した年が記されている。
1498 Melinde はケニアのマリンディ?


日本到達が 1541 だそうだ。














貪欲にアジアを目指したポルトガルの船によって、
南蛮文化が日本にも上陸したかと思うと
なかなか感慨深い。

2013年2月14日木曜日

サンタマリア修道院














初代ポルトガル国王アフォンソ1世の
所願によって建設された、シトー派の修道院。

ポルトガル最古のゴシック様式をもつ教会や
中世の建築がそのまま残っている。


















無駄な装飾を廃し、質素なつくりで
厳格な雰囲気を漂わせている。


















ポルトガル歴代の国王が
アズレージョの上に並ぶ。



南の翼廊には、ポルトガルで最も美しいと
言われている中世の石棺が置かれている。

ポルトガル文字で悲恋を歌われる、
ペドロ1世と愛妾イネスの石棺だそうだ。














権力の象徴、ライオン像の上の石棺は
ペドロ1世。
暗殺されたイネスの石棺は、
暗殺者達を模した像の上に置かれている。


シトー会は回廊での私語を禁じていたらしく、
説教をする高位僧だけが話をできたとか。



この地は水源に恵まれたようで、
修道院内には水の通り道が確保されていた。

これは、水が出てくる場所を指しているそう。














調理場の奥にある水汲み場。
川から引いている水場に
魚が迷い込む事もあったようだ。


















水の出口がユニーク。














修道士達が生活した大部屋。
この部屋から教会に抜ける階段もあったが、
フランス軍によって破壊されたとのこと。


コインブラ散策


散策中立寄った、小さなファドスタジオ。

ファドというのはポルトガルの民族歌謡。

特に、コインブラではリスボンと違い、
コインブラ大学の学生によるセレナーデ
という位置づけのコインブラファド。














学生マントを羽織って演奏する
元コインブラ大学生の奏者。
コインブラファドはコインブラ大学の
関係者によって歌い継がれている。














「洗濯女の像」
勾配のある地形に沢山の階段。














夏には花で溢れそうなベランダも、
この時期は空っぽ。














街の中を小さなバスも通る。














特徴的な管の形をしたパイプオルガン。
管がこのように飛び出した形をしているのは
ポルトガル、スペインのイベリア半島だけだそうだ。














数人の路上奏者がチームを作った
珍しいグループ。
ポルトガルのTVなどで紹介されたそう。



金平糖も実はポルトガルからの伝来品。
いぼいぼのある金平糖を作っているお店は
現在では少ないそうだ。
ちなみに、ポルトガルでは
「コンフェイト」と呼ばれている。















コンフェイト以外にも
美味しそうなお菓子が店先に並ぶ。


丘の上の高いところに見えるのがコインブラ大学。
氾濫が多かったと言われているモンデゴ川も
今は穏やかな流れ。